神宮神田で生まれた新種の稲

イセヒカリストーリー

1.神宮神田で生まれた新種の稲「イセヒカリ」とは

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平成元年の秋、伊勢地方は立て続けに台風に襲われ、伊勢神宮の御料米を育てる神田のコシヒカリが見るも無惨にべったりと倒れた台風一過の朝、神田の作長がその中に悠然と直立する2株の稲を発見。
その後、試験栽培や調査が続けられた結果、「倒れにくく、収穫量が多く、病気にも強い新種の稲」であることが判明しました。
これまで、神田では他の圃場よりも高い頻度で稲の突然変異が起こっており、人智を超えた力が宿るのではないかと言われています。
昭和から平成への御代替わりに、大御神から授かったこの種籾は伊勢神宮で大切に保管され、コシヒカリより収穫時期が遅いために平成5年「コシヒカリ晩」と名付けられました。

翌年、山口県農業試験場でこのコシヒカリ晩を分析したところ、「籾の形がコシヒカリの親である農林一号に似て小粒で丸い。
茎が太いのはコシヒカリではなく、変種であることは間違いない。丹念に育てれば収穫は伸びるが、手抜きすると品質ががくんと落ちる人を選ぶ稲である」と評価されました。

平成7年、農業試験に携わった山口県で篤農家が選ばれ、コシヒカリ晩の栽培が委託されました。
彼らの丁寧な栽培により、収穫量・美味しさで殆どの奨励品種を上回りました。

そして、「皇大神宮ご鎮座二千年」を迎えた平成8年1月16日。
この稲は、伊勢神宮の当時の酒井少宮司によって、永遠に繁栄が続くことを祈念し「イセヒカリ」と命名されました。
その後「お伊勢さんの稲を育てたい」という要望が山口県神社庁に多数寄せられ、同年4月神宮司庁よりイセヒカリの種籾3升が授けられ、山口県の神社7社に下賜されました。
新聞にも「伊勢神宮に新品種誕生、イセヒカリと命名」と報じられたことで、「種籾を一粒でも分けてほしい」という声が全国から神宮に殺到し、平成9年神宮司庁よりイセヒカリの種籾が下賜されました。

私ども伊勢之里では、イセヒカリを何とか伊勢に里帰りさせたいと、「山口イセヒカリ会」より種籾を分けて頂き、平成31年より生まれ故郷である神田近くの圃場で生産を始めました。


2.イセヒカリの性質とは

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平成11年、イセヒカリの種籾を静岡大学が遺伝子分析したところ、縄文時代に先行して日本に渡来した晩生の稲・熱帯ジャポニカの遺伝子を持つと判定されました。
日本列島に広まった稲は、この熱帯ジャポニカと弥生時代に渡来した温帯ジャポニカが交雑したものだと言われています。
イセヒカリの遺伝子の中には、日本の稲の歴史が畳み込まれており、皇大神宮ご鎮座二千年を記念する稲として相応しいものだということがわかりました。

また、通常より高い頻度で突然変異を起こすので、毎年〝初めての稲を作る″という気持ちで、原点に返った基礎に忠実な栽培が必要なイセヒカリ。
栽培の過程で有望な変種を発見するチャンスが訪れ、稲の品種改良に測り知れない貢献を果たすだろうとも言われています。

他にも、イセヒカリは、風や雨に強く倒れにくいという性質を持っています。
田植えしてしばらくは他の稲のように大きく成長しませんが、この初期の生育期に根は深く伸びて耐倒伏性を強めています。
平成11年に山口県を襲った台風18号、また平成16年の度重なる台風直撃の中、瞬間風速50.5mにも耐え、なぎ倒された他の稲を尻目に、イセヒカリは堂々と立っていました。
根元の節間が短く、茎が太いため、根の強さはコシヒカリの1.5倍と言われています。
また、最多収量は、10a当たりで700kgを超え、病気にも強いので低農薬栽培で育てることができます。

米質を分析した結果、イセヒカリは典型的な硬質米で「お寿司に向いている」ということが判明しました。
本格的な欧風料理のパエリアや、リゾットなどにも合うようです。

イセヒカリの純米酒の開発は、平成10年山口県産業技術センターで行われ、その結果期待を上回った見事な純米酒に仕上がり、飽きの来ない「食べてよし、飲んでよし」の米はイセヒカリ以外にないと、県内酒造業界に紹介されました。
杜氏は、イセヒカリを自ら生産し醸造するという動きになり、山口県の酒井酒造などでイセヒカリ純米酒が造られています。
また、伊勢之里のグループ会社であるヒカリ酒販では地元三重の酒蔵にイセヒカリの純米大吟醸酒の醸造を委託しました。
清流・宮川の上流で江戸末期から酒蔵を続ける元坂酒造で醸造した「納蘇利」や、銘酒の産地である名張市の瀧自慢酒造で醸造した「里慕音」を販売しています。


3.稲作の始まりと神事について

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稲作の始まりは、日本書記に描かれている天孫降臨で、天照大御神が孫であるニニギノミコトに斎庭の稲穂を与えたことが起源だと言われています。
そのため、伊勢神宮外宮で毎日行われている日別朝夕大御饌祭では、神様に神饌としてお米が捧げられています。
その米を創るのが神宮神田であり、また、伊勢神宮で最も重要なお祭り・神嘗祭では、神田でとれた新穀の大御饌が供えられます。
天皇が皇居内の水田でお育てになった稲の初穂も懸税(かけちから)として捧げられます。
このお祭は、垂仁天皇の皇女・倭姫命が伊勢国を巡幸された時、鶴が加えていた稲を大御神に捧げたことが始まりと言われています。

神嘗祭が終わると、皇室第一の重要な儀式である新嘗祭が行われます。
天皇が育てられた稲と、各県から献上された米と粟の新穀や御酒が神々に捧げられ、天皇ご自身も召し上がります。
新嘗祭は国家と国民の統合を象徴する神人共食の食儀礼でもあるのです。

「稲」は、「いのちの根」い・ねと言われるほど、古来より日本人の命を繋いできた大切な食物。
西洋食の需要が増え、農地が減っていく日本の農業危機に、神田で生まれたイセヒカリはまさに神様がお示し下さったものではないでしょうか。


【参考文献】
・伊勢神宮御神田で誕生した水稲品種「イセヒカリ」について改訂版 (山口イセヒカリ会)
・続「御饌 イセヒカリ」—イセヒカリのもつ多様性が日本農業の再生を導くー(山口イセヒカリ会)
・いせひかり伝説(小林農場)
・祈りの大地第6回(農業経営者46号)

お問い合わせ先
(株)伊勢之里
三重県伊勢市楠部町248-1
TEL.0596-63-6666
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