【伊勢志摩の種人インタビュー】楽しみながら地域を盛り上げる女性に密着!

2021/03/10

 

伊勢志摩を盛り上げようと、地域に根ざし、地道に希望の種を播く「種人(たねびと)」を取材!

 

 

合同会社 NAKAMACHI

         代表 濱口 和美

 

Profile・・・・・・・・・・・・・・

1951年鳥羽市生まれ。

中学時代まで鳥羽なかまちで両親が営む豆腐店「糀屋」で過ごす。

名古屋の外資系企業で30年勤めた後、2008年に鳥羽へ帰郷。

母と共に「糀屋」を営みながら、鳥羽市男女共同参画審議会委員や、

総合計画審議会委員、鳥羽ロータリークラブの理事を務める。

2014年、地元有志と鳥羽なかまちの活性化を目指し

まちづくり団体「鳥羽なかまち会」を発足させる。

また、空き家事業・まちづくり事業に本格的に取り組むため、

鳥羽なかまち会の有志と、2016年に(合)NAKAMACHIを設立し、代表を務める。

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鳥羽市街地の南部に位置する鳥羽3丁目~4丁目界隈は、

江戸時代から明治時代にかけて、商店が連なる「鳥羽の台所」として賑わっていました。

現在は住民の高齢化に伴い廃業している店も多く、人通りが少ない静かな街となっています。

この「鳥羽なかまち」を何とか復活させたいと、地域の人達が立ち上がり2014年に発足したのが「鳥羽なかまち会」。

その中心となって活動してる濱口和美さんに、お話を伺いました。

 

 

 

自分の両親を支えてくれた

この街に  恩返しがしたい

 

 

 

濱口さんは、ここなかまちで両親が営む豆腐店「糀屋」の長女として生まれました。

中学生の頃までこの街で暮らし、高校から伊勢へ下宿。その後は、東京の大学へ進んだそうです。

大学卒業後は東京や名古屋で働き、定年を迎えた10年ほど前に鳥羽に帰郷。

自分が生まれ育った町が、これだけ活気がなくなってしまったのは寂しかったと言います。

 

 

「昔は、電気屋さん、衣料品店、せんべい屋さん、花屋さん、手芸屋さんとか、この通り沿いはとても賑やかだったの。

 私が中学の時と比べたら、今はあまりにも寂しい街並みになってしまって・・・。

 昔の同級生に、『よくこんな街になるまで放っておいたわね!』なんて怒ったりして(笑)」

 

 

若くして故郷を出て、仕事が忙しく里帰りもろくにできなかった自分に代わって、

近所の人達が両親を心配して様子を見に来てくれたり、買い物をしてくれたり、

この街の人々にとても救われたといいます。

 

 

「故郷に御礼がしたいと思っていたけど、何も出来ていなかったことが

 ずっと心に引っかかっていてね。だから今、この街の活動をすることは、私の恩返しなの」

 

 

街のために出来ることを考えたものの、なにしろ30年ぶりの里帰りで知っている人は同級生くらい。

"まずは、もっと地元の色んな世代の人達と交流して、鳥羽のことを知りたい!"と、市役所などが公募する委員に積極的に手を上げるように。

鳥羽市の男女共同参画審議会委員や総合計画審議会委員、鳥羽ロータリークラブ理事など、様々な地域活動に参加。

こうした取り組みを1つ1つ積み重ねて10年以上。「やっと最近、鳥羽のことが分かってきた気がする」と話す濱口さん。

 

 

 ↑ 鳥羽なかまちに残る石造りの民家

 

 

 

「やるっきゃない!」っていう

覚悟や開き直りは大事だよね(笑)

 

鳥羽のことを知るたびに、立ちはだかるのは人口減少や空き家の課題。

鳥羽市の人口は約1万8千人ほどで、大企業も少ないため圧倒的に税収が少ないといいます。

更に、大型商業施設が出来たことから、急激に個人商店が衰退していったそうです。

濱口さんは、地元の商店やお寺の住職など有志5人で「合同会社NAKAMACHI」を立ち上げ、

空き家の改修などを始めることに。メディアからの取材も積極的に受け、鳥羽なかまちの注目度が上がるよう日々尽力しています。

 

 

「元々人見知りで、人と話すのは苦手。前に出たいタイプでは全然なかったのだけど、

もう『いやや』とか『恥ずかしい』とか言ってる暇もない。

やっぱり『やるっきゃない!』という覚悟というか、開き直りは大事だよね(笑)」

 

 

そもそも、鳥羽なかまち会は、故郷である鳥羽3~4丁目に戻り仕事をしていた若い女性2人が、

街を盛り上げようと一軒一軒のお店を訪ね、立ち上げようとしていた団体。

街の人達の協力が得られるよう奮闘する彼女たちをサポートするために、濱口さんも参加を決意したと言います。

 

 

皆で話し合い、それぞれのお店やスポットの魅力を発信しようと店主やお店の写真入りの街歩きマップを作成。

その他、街に統一感を出すため各店舗の軒先に共通の吊り旗を下げたり、

"なかまちマーケット"というイベントを開催し、気軽にお店の人と地域住民、訪れた人々がふれあえる機会をつくりました。

 

 ↑ 大庄屋かどや(国登録有形文化財)

 

 

 

「地域の役に立ちたい」というよりも、

「楽しそう!」「面白そう!」という気持ちを大事に

 

濱口さんの街興しに対する積極的な姿勢は、名古屋の外資系企業に勤めていた30年間で培われたもの。

 

「社会貢献の担当部署から、よく『あなたは1ヶ月に何時間、社会貢献活動に従事しましたか?』

っていうアンケ―トメールや奉仕活動の案内が届いてて。忙しくてあまり参加できなかったんだけど、

やっぱり頭の片隅に「私も何か社会貢献しなきゃ」っていう気持ちが、ずっと残ってたんだよね。

だからリタイアした今は「両親を支えてくれた故郷の街にとことん恩返ししたい!」と自然と思える。

会社に植え付けてもらった社会貢献の精神が、無意識に私のベースにあるのかもしれない。

 

だけど、私はやっぱり基本的に"楽しいこと"しかしないの!

役に立ちたい』という想いよりも、『こんなことできたら楽しいんじゃない?!』っていう好奇心の方が強い!

"仕方なくやる"とか、"自分が犠牲になる"というのはいやで、

『私はこれをやるのが楽しい!』っていうことしかやってないのよ」

 

 

そういう濱口さんのワクワク楽しいエネルギーが、周りの人々にも確実に影響を及ぼしています。

先日は、空き家改修の資金を集めるため、クラウドファンディングで寄付を募り約100万円の支援金が集まった。

持続的な支援をしてもらえるよう、街興しの様子を配信する「サポーターズアプリ」も開発中。

鳥羽なかまちの街興しに対する支援の輪は全国に広がっています。

 

 

「なにごとも『無理』じゃなくて、『どうしたらやれるか?』をいつも考えてる。

 無理だと思ってたら、最初からこんな活動してないでしょ(笑)

できる方法を常に自問自答したり、仲間と意見を交わしながら前に進んでる感じかな」

 

 

 ↑ ギャザリングスペース KUBOKURI

 

 

 

 数年後の未来に思い描くビジョン

 そこから、今やるべきことが見えてくる

 

外資企業で長年勤めた経験から、常に数年後のビジョンに向かって

日々目の前の課題に取り組む姿勢も学んだという濱口さん。

 

「会社員時代は、1年に1回上司と相談しながら目標を立ててたの。

それは『仕事でこれだけ売上げます!』とか、 『個人でTOEICで●●点取ります!』とか何でもいい。

4、5年先に自分がどこでどういう仕事をしていたいのか、という希望も書いて伝える。

そして、半年や1年後の面談で、目標に対する実績報告をするんだけど、

もし目標達成できていなかったら『努力が足りなかったね』ってことで評価が下がり、減給になる。

人に言われたノルマではなくて、自分で立てた目標だから全て自分の責任だよね。

そうやって、『自分はこの先どうなりたいのか』を常に考えていたから、『今やるべきこと』がいつも明確だった。

だから70近くになっても、『次はどうしようかな?』っていう思考になるんだよね(笑)

だってそうしないと、どんどん自分が落ちていく気がしない?!

今は自分が自分の上司だと思って、自分と相談しながら未来の計画をたててます(笑)」

 

 

現在もこの外資企業のOBや現役世代が集うオンライン勉強会で、最先端のIT技術について学んでいるそう。

濱口さんが今一番興味をもっているのが"ITを利用した医療サービス"。

 

 

「この前も"空飛ぶクルマが、数年後には実用化する"という話を聞いて、

これは神島とか離島の高齢者の医療や買い物に活用できるのでは?と思ってるんだよね。

そんな話をなかまちの仲間にすると 『え?!鳥羽でそんなことできるんですかね?!』

と驚かれるけど、日本で実用化を予定しているのは事実なんだから、可能性は充分ある。

鳥羽の空をクルマが走ってるなんて、想像するだけで楽しいじゃない?」

と目を輝かせる。

 

 

また、今はこの街を巡るレンタサイクル用の自転車も、会社で購入し始めているのだとか。

 

「なかまちのウリは、商いの後ろに生活やご近所付き合いがある温かな街並みだったんだけど、

今は高齢化でお店も閉まってるんだから、もう根本的に考え方を変えないと、って思ってる。

外部から移住者を受け入れるしか、この街を活気づける方法はないと思うのよね。

今まで鳥羽観光は、一泊二日で海が見える高級ホテルに泊まって・・・というのが主流だったけど、

毎年夏は、鳥羽なかまちで1週間、1ヶ月過ごすとか、ロングステイでこの街の良さを楽しんでもらいたいよね。

お金持ちじゃなくて、若者とかクリエイターが自転車で行き交う街になったら面白そう!」

 

 

 

 

 若者と交流することで、

 自然と頭が柔らかくなって、想像が沸き上がってくる

 

69歳とは思えないほど、スマホやSNS、クラウドファンディングなど、現代の技術を難なく使いこなす濱口さん。

その若さとバイタリティーは、どこからやって来るのでしょう。

 

 

「この街を気に入ってくれている若いクリエイターと話すことかな。

私は"こういうことが出来たらいいな"と想像するのが大好き!

具体的な方法は、『どうやったら、できると思う?』って若い人達に聞く。

そうすると『こうすればいいんじゃない?』って色々アイディアをくれるから、

それに刺激を受けて、私なりにどんどん実現に向けて動く感じ。

 

若い人達には、自分達の子どもや孫の時代にこの街がどうなるのか、ということをもっと想像して

『このままでいいの?!』ということを真剣に考えて動いてほしいと思う。

住んでいる人達の意識が変わって前へ進まない限り、この街は絶対変わらないと思うから」

 

 

 ↑ 埼玉から移住してきた女性が、3月3日にオープンしたおにぎりカフェ「うさぎのしっぽ」

 

 

 

 主婦や子育てをする女性も

 地域社会で活躍してほしい!

 

女性の活躍についても、熱心に想いを語る濱口さん。

 

「"働く女性を応援したい"というのが、名古屋で人事の仕事をしていた頃からの私の願い。

結婚も子育ても人生を豊かにしてくれる大切なもので、そのために自分のキャリアを諦める必要は全然ないと思うの。

周りの人達にサポートしてもらいながら、ぜひ頑張ってほしいと思う。

私は今まで都会でバリバリ働く男まさりの女性も見てきたけど、

結婚も出産もした女性がやりがいのある仕事をして、気づいたらすごく活躍してる!

そんな自然体で輝く女性がもっと増えたらいいな!と思う」

 

 

地域だけでなく、若者達の生き方にも日々刺激を与えている濱口さん。

鳥羽なかまちが、全国から集まる人々の居場所となり、ここで暮らす高齢者にも温かく寄り添う街として、

再び活気づく未来を思い描いて、1人1人が今できることに尽力していきましょう。

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