偉人伝 ~伊勢を想う人々~

古くから日本人を魅了してきた伊勢という町。その繁栄は多くの偉人たちによって支えられてきました。
ここでは、知られざる偉人たちにスポットを当て、この町の魅力を再発見していきます。

波乱の人生のひととき、伊勢・二見浦にやすらぎを求めた僧侶
西行

2020.07.15

「嘆けとて月やはものと思わする かこち顔なる我が涙かな」百人一首に選ばれている西行法師の歌は、恋の歌。月と花を好んで詠み、恋歌が多いことでも知られる大歌人です。出家後は旅に出ることも多く、漂白の歌人ともいわれます。そんな彼が、晩年伊勢を訪れて6年もこの地に滞在したことには、どんな意味があるのでしょうか。

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2020.07.15

晩年の6年間を伊勢・二見浦で過ごした平安の歌人・西行法師の波乱の人生!

伊勢市二見町の海岸に建てられた西行の歌碑。「浪越すとふたみの松の見えつるは梢にかかる霞なりけり」の歌が刻まれている。
文治二年(1186年)に西行が、そのころ住んでいた伊勢・二見浦で催した百首(歌会)の歌集。当時の記録を江戸時代に人物ごとにまとめ直した書物。(神宮文庫所蔵)
『伊勢参宮名所図会』にある「西行谷」のページ。左ページには、俗伝として、西行と妻のエピソードも語られている。(斎宮歴史博物館所蔵)
かつて、安養寺跡と考えられていた豆石山北麓にある、西行法師幽棲之地記念碑。
「光の街西」のバス停あたりに、安養寺跡の発掘調査の様子などを示した看板がある。
安養寺跡から出土した墨書木製品。絵馬らしきものなどもある。ほかには土器、るつぼ、鋳型、漆…生活用具から儀式用具らしきものまで多くのものが発掘された。(伊勢市教育委員会所蔵)

武士でありながら、23歳の若さで出家し、高野山で修行、各地を旅して様々な和歌を残し、今も小説や演劇の題材となるほどのドラマティックな人生を送った西行。800年以上経っても色褪せず、人の心を打つ歌を詠んだ彼は、いったい現代の誰に匹敵するでしょう。(いま巷で流行している歌は、800年後も歌い継がれているでしょうか。)西行は、晩年の6年間を、伊勢・二見浦で過ごしました。神宮の神官たちとも親しく交流し、和歌の指導をしたといわれています。その和歌が、連歌となり、やがて俳諧に発展し、松尾芭蕉もまた西行に憧れて、伊勢の地を訪ねています。伊勢での彼の暮らしを想いながら、今も人々の心の中に住む、西行という人の人生を見つめてみましょう。

波乱の人生のひととき、伊勢・二見浦にやすらぎを求めた僧侶
西行

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